交信ノート29 1980年8月24日午後11時49分~
宇宙人から送られてきた「聖者論」
その後に送られてきたメッセージが次の「聖者論」です。
現時点で、キリスト、仏陀、釈迦とのコンタクトにより教示を授かったとする宗教家並びにコンタクトマンが続出している。
キリストの予言通り、偽キリストが出現し、人類の破滅となるのだろうかと、多くの人は心配しているようだが、本来キリストやその他の聖者の霊魂(意識)というものは、アカシツクレコードとして宇宙全体と同化してしまう。
要するに、彼ら聖者の意識というものは、宇宙的存在であって、それを追求しょうとする者のもとへ、無限の英知を授けるのである。
それが不正確か正確かは、追求者のレベルの違いによるのであって、偽キリストなどではない。
当時を振り返ると、「私こそキリスト」「私こそ釈迦の生まれ変わり」「私こそ選ばれし者」といった人たちが多く現れた時代でもありました。
でも、それは間違いです。
単なる個人のエゴの表れでしかありません。
なお、アカシックレコードとは宇宙誕生から現在までのすべての情報を記録した宇宙のデータバンクのことです。
この後、宇宙文字のようなものが送られてきます。
一緒に描かれているのは、雲の上に六基のUFOと二人のスペース・ピープルが見守っているという映像のイラストです。
「大丈夫よ。ゴチヤゴチヤあっても見守っているから」という意味なのだと思います。
なるほど、如何でしょうか?
キリスト教とか仏教とか?それ以前の原点となる法則があるはずなんですね。
それが分かれば、宗教に対するこだわりが無くなるはずなんですね。
だから、こればかりは受け手の追求者のレベルの違いとか?の問題になります。
次は、この書籍のあとがきから抜粋させて頂きました。
一部、引用掲載させて頂きますと、以下の通りです。
↓
私は実際に体験したありのままを記録するため、いつか公表するときがあると思い、誇張も偽りもなく、ただ淡々とノートに記していったのです。
私の話に触れる機会がある人の中には「(秋山の言っていることは)私の信じる教祖と言っていることが違う!」と言う人もいます。
しかし自分が師と仰いでいる人の意見と異なると言われても、真実は真実で変えようがないのです。
そのような説明をいちいち「信仰派」の人々に対してするのも、実は面倒になってきています。
「もう、いい。僕は、そんな世界にもう一喜一憂しない。
ただただ、この本から何かを学び取ってくれる『優しい人々』と生きていきたい」と思うのです。
相変わらずメディアも「楽しいオカルト屋さん」が大好きで、そういったマニアックなブームも私は嫌いではないのですが、最近は何よりも、気の合う知識人と瞑想したり、美しいUFOを見に行ったりする方が楽しいと切に感じるようになりました。
スペース・ピープルは、相変わらず飛来し続けています。
その一方で、私たちの文明も、ようやく「心」を中心に据えた変化に向かい始めたようにも思います。
それはスペース・ピープルが私たちに促している方向でもあります。
「何が幸せか」を常に考え、その目的の下に安らぎの人生を見つけようとすることこそが、彼らが促す、あるべき地球的な生活なのです。
「幸せ」などいらないと言うならば、人を傷つけても「俺は正しい」と主張して騒げばいいし、技術や知識がすべてだと言うならば、結果主義に命を懸ければいい。
しかし「人が幸せになる」という座標は、そういう我の張り合いや競い合いとはまったく別のところにあります。
だからこそ「科学者よ、経営者よ、教祖様よ、もう少し幸せになろうよ」と声を大にして言いたいのです。
表層的なことや物質的なことではなく、「人が心から幸せになること」を中心に据えるべきなのです。
そこに向けて、あらゆる科学とあらゆる精神学が手を取り合ったならば、地球文明は必ず宇宙の仲間になれるはずです。
私はそう信じてやみません。
そうなる日を楽しみに生きていこうと思っています。
深まる秋に合掌。
秋山眞人
以上になりますが、これは分かります。
私でも、今でも宗教をやっている人に対しては説明する事程、面倒な事はないなあと感じていますね。
下記の記事を読みますと、やはり幸せを追求する事の大切さを説いていますね。
異星人長老との対話
異星人からの12項目の提案
人が幸せになると言う座標は、そういう我の張り合いや競い合いとはまったく別のところにありますと言うのは本当にその通りだと思います。
気が楽になると思いますね。
他にもありますが、これ位にして一度書籍を読まれる事をお薦め致します。
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