ようやく、前回の記事にある内容によって神道の教えを具体的に知る事になりますが、心の磨き方を知り、すべて成程と思う事ばかりの内容です。
こう言った内容は、仏教では見かけなかった様に思いますが、如何でしょうか?
私が二十代、三十代の時、日蓮正宗の教学研鑽の重要性から思索したりしましたが、やはり現世重視の教義の為か?常々仏教の限界を感じ取っていました。
そう、死後の事があまり詳しく載っていない?そして、見えない世界、つまり、霊界との繋がり方、特に創造主との繋がり方が分からないし、知る事も難しいように感じていました。
いくら、教学に力を入れたところで、智を伸ばしても人間の生命がそう簡単に変わる訳がありませんし、現在、巷にある電磁波の害をどの様に撥ね退けるのでしょうか?
現実的な対応と言う事を考えれば、仏教の力不足を痛感せざるを得ない日々が続きました。
そうして、友人である元学会員によって縁が繋がったエイトスターダイヤモンド。
このエイトスターダイヤモンドによって、私の意識は引き上げられ、その上、神道の教えを知る事になりました。
(以下、本文そのまま転載します。)
こうして、八徳を象徴とする八咫の鏡の( 間) が情で埋まった時、山形のある八咫の鏡は、まん丸の鏡へと昇華して、三種の神器の一つ、〈 真円真澄の鏡〉 となる。
神の象徴、心の象徴となる。神と心の一体、完成である。(図13 )
情で埋めるとは、すごいことである。長所を、温かさで包むもとである。
例えば素晴らしい特性の一つ、清らかさ。
もしも、なんの感情もないままに、清らかさだけが表現されたら、折角の清らかさも冷たく伝わるだろう。礼があっても、そっけないものとなるだろう。
一度小さく切り取られた私の長所も、こうして再び情で埋まって大きな円となる。
長所がないと思っていた人にも実はある。出せなかったけれども心の内には必ずある。
なぜなら、もともと心の奥底にだれもが持って生まれてきているのだから-・・… 。
自らの心の中にある事を気づいて、その一つ、例えば、礼を出し続けられただけでもあなたは周囲で特別な人となり、自信に満ちた人となるであろう。
真円と八本矢印は、心の長所と情がバランスよく調和した現れ、象徴でもあった。それは、真心の姿。
こうして、心磨きと神へと向かう知識と方法を学びながら尚、日々 心は静まり、深まって行った。
二年が経った。さらに先があった。新しい導きであった。
お客様が、「田村さん、どうしても読んでほしい本があるのよね… … 」と、持ち込まれた日垣宮主(ひがきみやぬし)さんの小冊子「宮主日誌抄十五」だった。
その掲載文の四国の祈りの旅の中に、示しを感じる私にピッタリの言葉が連なっていた。
① 四国田村神社参拝時の随筆文
② ダイヤモンドを以て石拳(いしつか)の剣となせば、神光あまねく全天に及ぶ。イシコリトメの神が御手に執る神剣、石拳剣、即ち石柄(いしつか)の剣… … 。
田村に、ダイヤモンドに、神の光全天に及ぶとなれば、その神剣にエイトスターを入れていただこうと訪ねてご縁をいただいたのが、2001 年11 月のこと。
神剣はこの世の物ではなく、神界のことであった。
サイババのダイヤモンド発言につづき、この世的ではないダイヤモンドだったのである。
見えない世界(四次元)に目覚めると、この世(三次元)から見ると四次元はすべて一緒くただと初めは思っていたが、言い方はいろいろあるが、四次元の中には幽界・霊界・神界とか、アストラル(感情・欲望)体・メンタル(精神)体・コーザル(高次元)体など、大まかに分かれた次元の違いがあるという。
さらに、この世に起こることはまず神界で生まれ、霊界に降りた後この下界に降りてこの世を形成しているという。
即ち、この世にあるものはすべて神界が形成されているという。その最上階に在るのが天皇神界なのだという。
新たな導きと祈り
宮主さんは、この神界へ直接結びついて祈りをつづけている人であった。
祈りの為に、世界中どこにでも、呼ばれた場所に行っている人であった。
しかもその祈りの地は、地図上で一点を指し示し「この地に、こういう風景の場所があるので・・… 」と言って、スタッフが見つけ出す。
地中海ではこんなことがあった。
小さな船上、突然の突風と共に海は大荒れ。
それを鎮めてポセイドンの神に祈られたとのこと。
さらに、植物とも鉱物とも会話のできる人でもあった。
庭に大きな石を設置する時の逸話には、驚かされた。
続き
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