人は何のために生きるのであろうか?人は死んだらどうなるのであろうか?
そして、もし、死後の世界があるとするならば、死んでどうすごすのであろうか?
我々の創造主とはいかなる存在であろうか?
色々と問いかけがあれば、キリがありません。
その様な欲求は自然であろうか?それとも余計なものであろうか?
それも分かりません。
これは、中学生の時に聖書を紐解き始めた時から、常にその問いかけが自然と湧き起こりました。
既存のキリスト教、高校時代に入ってからの仏教では答えが得られない分野があり、特に死後に関してはなおさらでした。
仏教の言う「生死不二」が本当であれば、この世に生きるのが重要なら、もし死後の生命があるとすれば死後の生活も重要となってきます。
何のために生きるのか?その問いかけに対する答えがもしかしたら死後の生命にあるのではないか?とも思いました。
そこで、私は心霊科学も求めるようになリ、人間死後の生命の探求に入りました。
その解明に色んな書籍を購入し、読み漁り、世界の各種の死者の書、そして、神智学もそうです。
死者の書では、エジプトの死者の書、そして、エマニュエル、スウェーデンボルグの霊界探訪記が詳しい。
もっとも新しいものは、日本の高知の死者の書であろう。
それらは、全てに驚く程の共通点が多く、世界の関連書籍の最大公約数として著した丹波哲郎氏の書籍が素人には分かり易い。
丹波哲郎氏の書籍から引用して紹介しょうと思います。
ここでは、高知の死者の書の続きとはせずに、まず変更して基本的な所から話をしょうと思います。
人は死ぬと、色んな段階がある様です。基本的には以下の通り。
第一段階。(死の瞬間)死の直後。
幽界に入るまで
第二段階、中間状態。
あの世の入り口、つまり精霊界に辿り着く
第三段階、霊界への出発。
精霊界と霊界との間に流れる「三途の川」を渡る
第四段階、霊界への到着。
霊界の最初の光景と霊人達のお節介
第五段階、旅の終わり。
自分の生まれた村へ帰る
そして、霊界の構造ですが、基本的に7つの階層があるそうです。
一階層、地獄界
二階層、地獄界(一階層よりは軽い)
三階層、ごく一般の者が行く。500人前後の村へ帰るらしい。
四階層、帰る村は5000人から五万人に増える。
五階層、帰る村は四階層よりは増える。
六階層、帰る村は五階層よりは増える。
七階層、仲間は宇宙全体に広がっている。
神智学では、下から
アストラル界
下位エレメンタル界
高位エレメンタル界
ブッディ界
アートマー界
アヌパーダカ界
アーディ界層
などがある。
神智学は、かなり詳しいので読んで見て損はありません。
さて、上記の幽界に入るまでですが、人は死んだら「自分は死んだのだ」と言う事実を認めることが出来るか?どうか?で、その後が変わってきます。
自分が死んだ事実を認められない者は、この世に未練を残して地縛霊もしくは浮遊霊になったりして、次の段階に行けなくなります。
だから、人は死んだら自分は死んだのだと言う事実をまず受け入れる事です。
生に対する諦めが肝心であり、この際の潔さが大切になって来ます。
運よく、精霊界に辿り着いた者は、地獄界もしくは霊界へ行く準備をします。
精霊界は、霊界へ行くための準備をするための場所であり、この時、人は人間から精霊になります。
霊に移行する為の時間その他を要していきます。
人間界で身に付けた「アク」を抜き、「素」の状態になるのを待ちます。
例えば、学者だった者は段々と学んだ学問が忘れていきます。
洗脳・マインドコントロールされた者も段々と抜けていきます。
ちょうど、前回の記事にありましたホンダレ族の彼らの様に自然体で生きて来た人ならば、「素」の状態になるのは早く、文明人より有利かも知れませんね。
頑固な人ほど、「素」の状態になるのに時間がかかり不利になります。
つまり、素直な人ほど、有利なのです。
そうして、すぐに次の段階である霊界へ行けます。PR
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