皆様、今晩わ
またも御無沙汰致しておりました。
前回の記事に自然と「霊界」が出て来ましたが、日蓮大聖人の仏法の研鑽する傍らに心霊科学も研究していました。
その結果、感じた事は日蓮さんは使命の違いなのでしょうか?御書にもそう思われる箇所がありましたが、やはり死後の事はあまり詳しくなかったなあと感じました。
そう言う印象でした。
以前の記事にも霊界についての記述がありましたので、そこからも引用する事をご容赦下さい。
死後の事は、やはり実際に死後の世界へ行って見て来て、この世に戻り見聞したことを書物に記録した人の方がはるかに詳しい様です。
その記録の書物が、「死者の書」であります。
死者の書では、「エジプトの死者の書」、そして、「エマニュエル、スウェーデンボルグの霊界探訪記」が詳しい様です。
もっとも新しいものは、「日本の高知の死者の書」でしょう。
それらの書物は、驚く程の共通点が多く、世界の関連書籍の最大公約数として著した丹波哲郎氏の書籍が素人には分かり易い様です。
丹波哲郎氏の書籍から引用して基本的な所から紹介しょうと思います。
人は死ぬと、色んな段階がある様です。
基本的には以下の通り。
第一段階。(死の瞬間)死の直後。
幽界に入るまで
第二段階、中間状態。
あの世の入り口、つまり精霊界に辿り着く
第三段階、霊界への出発。
精霊界と霊界との間に流れる「三途の川」を渡る
第四段階、霊界への到着。
霊界の最初の光景と霊人達のお節介
第五段階、旅の終わり。
自分の生まれた村へ帰る
そして、霊界の構造ですが、基本的に7つの階層があるそうです。
一階層、地獄界
二階層、地獄界(一階層よりは軽い)
三階層、ごく一般の者が行く。500人前後の村へ帰るらしい。
四階層、帰る村は5000人から五万人に増える。
五階層、帰る村は四階層よりは増える。
六階層、帰る村は五階層よりは増える。
七階層、仲間は宇宙全体に広がっている。
神智学では、下から
アストラル界
下位エレメンタル界
高位エレメンタル界
ブッディ界
アートマー界
アヌパーダカ界
アーディ界層
などがある。
神智学は、かなり詳しいので読んで見て損はありません。
さて、上記の第一段階の幽界に入るまでですが、人は死んだら「自分は死んだのだ」と言う事実を認めることが出来るか?どうか?で、その後が変わってきます。
自分が死んだ事実を認められない者は、この世に未練を残して地縛霊もしくは浮遊霊になったりして、次の段階に行けなくなります。
だから、人は死んだら自分は死んだのだと言う事実をまず受け入れる事です。
生に対する諦めが肝心であり、この際の潔さが大切になって来ます。
こんな事は、日蓮さんの御書に細かく書いてありましたか?
私にはなかった様に記憶しておりますが、・・・・。
念の為、誤解の無い様に日蓮さんを批判している訳ではなく、事実を述べているだけですので。
運よく、精霊界に辿り着いた者は、地獄界もしくは霊界へ行く準備をします。
精霊界は、霊界へ行くための準備をするための場所であり、この時、人は人間から精霊になります。エジプトでは、精霊の事を「カ」と表現していました。
霊魂と人間との中間状態です。
霊に移行する為の時間その他を要していきます。
人間界で身に付けた「アク」を抜き、「素」の状態になるのを待ちます。
そして、「霊魂」になります。
エジプトでは、「霊魂」の事を「バー」と表現しておりました。
例えば、学者だった者は段々と学んだ学問が忘れていきます。
洗脳・マインドコントロールされた者も段々と抜けていきます。
ちょうど、ホンダレ族の彼らの様に自然体で生きて来た人ならば、「素」の状態になるのは早く、文明人より有利かも知れませんね。
頑固な人ほど、「素」の状態になるのに時間がかかり不利になります。
つまり、素直な人ほど、有利なのです。
そうして、すぐに次の段階である霊界へ行けます。
ここでは、心の財が豊かな人が有利になる訳です。
世界中の死者の書の共通点としては、人の死後、まず幽界があり、その次が精霊界、そこから善人は霊界へ、更に霊格の高い人は天上界へ行くらしい、悪人は地獄界へ行くとの事です。
地獄界については、罰として行くのでは無くて自らの本性に従って好き好んで行かれる様で、例えば喧嘩や殺しが好きな人ならば自ら進んで地獄へ行き、そこで繰り広げられる争いの世界に没頭して喜ぶと行った感じでしょうか?
逆に言えば、地獄へ行く人は霊界では苦しくて地獄界では合っている?そんな感じですね。
そう言った事が書かれてあって、仏教に出て来る鬼とか?閻魔大王とか?そう言ったものは出てこないし、処罰されて地獄へ行くと言う訳ではなさそうです。
ですから、全然 罰とか?ではないので、本記事を読んでいる貴方は善人でしょうから安心してください。
それから、時間の概念がこの世の時間とは異なり、永遠に近い感覚の様です。
例えば、この世では数時間なのにあの世では何千年、何万年と言う感覚だったとか?そう言った事がある様です。
ですから、この世に生まれ変わる時間がたった数時間あるいは一日であったとしても、あの世ではかなりの長い時間が経っているらしく、この世とあの世とを含めてまさに永遠即瞬間の様な事象が存在する様です。
この様に面白いことに共通点が多いのですが、時代性の違い、文化の違い、そして、見てきた人の個人としてのパーソナリティー、それによって表現の仕方の違いが出るのはやむを得ません。
その為、世界中の死者の書にはそれぞれ特徴があります。
エジプトの死者の書は、最古の死者の書であり、その他チベットの死者の書、エマニュエルスウェーデンボルグの死者の書もあります。
霊界の天地創造については、エジプトの死者の書が詳しいです。
但し、霊界についての著述量が最も多いのは、やはり200年前の科学者によって書かれたエマニエル・スウェーデンボルグによる「霊界探訪記」です。
こちらは、かなり詳しいです。
比較的最近なのが、昭和25年の日本の高知の死者の書です。
それが、「続・丹波哲郎の死者の書 霊界旅行」の書物です。
同じ日本人同士なので、生活の細かい部分の描写が理解しやすいでしょう?
これによると、まあ、あまり細かい事には気にしない、おおらかな心が必要だなあと思いますね。
それと、世にも稀な「霊人」と言う存在があり、「霊」と言う存在がそのまま人間にした様な感じです。
一度、「長南年恵」と言う人物を調べて見て下さい。
大変驚かれますよ。
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