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アレックスの日々想うこと

人間中心の霊性から真の宇宙的霊性への進化 何事もポジティブシンキングで人生を謳歌していきたいですね。

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想学談林-管理者の部屋と言うブログがあり、その中でも人間・日蓮という視点と言う記事でも、日蓮さんは、人々を「仏が救う存在」ではなく「仏の子」として見ていたのではありませんか?とありました様に、同時に、他では人は「神の子」とも聞きますね。
「子」とは、単なる子供の意味ではなくて、まだまだ未熟な?原石の様な?意味あいだろうと思います。
釈迦にしても日蓮にしてもどちらが本仏だとか?と言うのも、あまり重要ではないと思います。

それよりも大切な事は、自分の内部にある神性と、自分が神と共に在るということ。
つまり、自分は神でもあり同時に創造主でもあると言う事を理解しなくてはいけないと言う事ですね。

この事は、何を意味するのでしょうか?
当然ながらも自分の行動のすべての責任の所在を、人のせいにする様な甘ったれた考え方をもってはいけないと言う事にも繋がりますよね。
すべてが自己責任であり、自分が神である事を思い出す為にも謙虚になって常に学ぶ事が大切になってきます。
だから、我々はまだまだ未熟ですから「仏の子」でもあり、「神の子」でもある訳です。

日蓮さんは排他的であるとの批判もありますが、残念ながらその通りなのです。
ですが、これは深い意味があっての事なんですよね。
それは、精霊との話によれば要約すると次の様になります。
日本人独特な、日本人の為の宗教を作りたかったのと、それによって他の外の宗教の影響を受けない、または他の世界の仏教と競争しない様な?日本人独特の仏教を作りたかった訳です。

その為、他の宗派を否定しましたが、そういった嵐の様な中にあって、静かな「チャンティング」(題目を唱える事)と言うものがあります。
そう言った静かな「チャンティング」の中で「平安」を見つける事が出来たら?日蓮さんの言いたかった事なんですね。
単なる詠唱、唱題の中心となる「南無妙法蓮華経」で、「心の平安」を見つける事で人の魂が救済される事を日蓮さんは願った訳です。

現に、私も創価学会を離れて20年以上経ちますし、日蓮正宗も同じです。
寝ている時に、たまに心の中で「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経~」と唱えたら心が平安に満たされますね。

また、こういう事もあります。
美輪明宏さんの『ほほえみの首飾り 南無の会辻説法』水書坊出版では、「成仏していない霊を上げてあげるにはお題目を唱えるといいんだけど『南無妙法蓮華経』が一番効くのよ」という事で、南無妙法蓮華経について分かりやすく書いています。
「話を元に戻しますが、たくさんのお経の中でお釈迦様が亡くなる前に説いたお経というのが『法華経』なんですね。
後世になって日蓮上人が「南無阿弥陀仏」に匹敵する言葉として「南無妙法蓮華経」という言葉を感得されました。
日蓮上人は先輩であるお釈迦様の『法華経』を研究なさってその結果として悟られ たのが「南無妙法蓮華経」だったわけです。
「南無」というのは「信じきる」ということで、「妙法蓮華経」というのは「妙なる法の蓮華経」ということで す。」 (中略)

「仏法」というのは宇宙の法則です。
「妙なる法則」というのもその宇宙の法則なんですが、日蓮上人はそのものを「南無妙法蓮華経」という一言の中にまとめられた。
この「南無妙法蓮華経」は宇宙のすべての生命を含んでいますので、宇宙いっぱいにいらっしゃる神仏をすべてその中に含んでいます。

「南無阿弥陀仏」というのは阿弥陀仏お一人をお呼びする言葉ですが、日蓮上人は「南無妙法蓮華経」というのを、宇宙の神々全部を一声で呼び表す言葉として考え出されたわけです。
たとえば自分たちが住んでいる土地の神様もいらっしゃるし、天照大神という日本国の守護神もいらっしゃいます。
それから自分の背後霊がいて指導霊がいて、守護霊がいて守護神がいる。
肉眼では見えないだけのことなんです。
とにかく宇宙の神様というのは山ほどいらっしゃるわけですが、 そういう神々を一口に呼び表す方法というのが「南無妙法蓮華経」という言葉なのです」と。

御本尊様とは何か?と問われたら、
「南無妙法蓮華経」とばかり唱えてる人が紙に書いている人に向かって紙に書いたものの中に「南無妙法蓮華経」はどこにあるんだ?と聞くかも知れません。ですから、紙に書かれたものを読んで「南無妙法蓮華経」を学ぶ人も居るかも知れません。
その役割を果たすものだと思います。

未成仏霊を説得しょうと思ったら、その霊の波動(バイブレーショ ン)が低いはずなんです。
ですから、高級霊ではその霊に対しても波動が高すぎて話が噛み合わない?想いが噛み合わないかも知れません。
我々に近い?あるいは、我々の指導霊や守護霊ならまあ何とか波動が合って話が出来るかも知れません。
阿弥陀仏は、西方極楽浄土に住まう超高級霊かも知れませんので、「南無阿弥陀仏」を唱えて阿弥陀仏お一人を呼んで成功出来るかどうか?はあれなんで、それよりもたくさんいらっしゃる神々様の中でその未成仏霊を説得するのにふさわしい霊をお呼びできる「南無妙法蓮華経」の方が適切かも知れませんねえ。(笑)

お題目のEAV測定についても「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」はEAVで50になり、「南無八幡大菩薩」や「アーメン」は50にはならない事がすでに分かっています。
ですから、
「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」はEAVで同じ50になるのなら、どちらが優れているのでしょうか?
当然、たくさんの神様を一口に呼ぶ事の出来る
「南無妙法蓮華経」が優れていると言う事になりますね。
残念ですが・・・・。(笑)


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DIY、読書、映画鑑賞、投資
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最近は、何故か?リフォームに伴うDIYが増えました。(笑)

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