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アレックスの日々想うこと

人間中心の霊性から真の宇宙的霊性への進化 何事もポジティブシンキングで人生を謳歌していきたいですね。

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皆様、今晩わ
今回は韓国に関する話題です。
記録の為、引用掲載させて頂きます。
それにしても、あきれますねえ。
         ↓

韓国の徴用工「日本に行きたくて行った」証言


戦時中、日本統治下で強制的に連行・動員された朝鮮半島出身の労働者たちは、奴隷のような扱いを受けて塗炭の苦しみに喘いだ──これが韓国社会に定着した徴用工「強制動員」のイメージだ。
しかし、『韓国「反日フェイク」の病理学』の著書がある韓国人ノンフィクションライターの崔碩栄氏は、そうしたイメージとは正反対の「証言」が残されているという。

 * * *
最初に紹介するのは、自分は日本に連れていかれたのではなく、志願して仕事をしてきたのに、現在の韓国では全部「連れていかれた徴用」と表現されてしまうことに溜息をつく老人の証言だ。
韓国で2001年に出版された『私の経験した解放と分断』(趙文紀・著 韓国精神文化研究院、図書出版先人)には、次のようなやり取りが収録されている。
〈(インタビュアー)この話からお願いします、1942年度でしたか? 徴用で行かれたんですよね?
──徴用ではないです。ほとんどの記録が徴用でしょっぴかれたかのように書かれているものが多いですけど、徴用ではなく、徴用という話がなぜ出たかというと、行くときには軍需工場に行ったんです。募集があって行ったんですよ。
会社から(募集が)あって、この国の就業紹介所で。ソウルで募集がありました。応募したら合格しました。(倍率は)12対1だったか、ものすごく厳しかったよ。
実は、私は資格という面で見たら、そこに応募する資格もなかったんですよ。年齢もそうだし、学歴もそうだし、上手く誤魔化して、その募集官という人の前で芝居をして何とか入れてもらったんですが、そこに行って、現地で行った翌年に戦争が激しくなって、軍需工場だから、そこの全従業員を、日本の人だろうが韓国人だろうが、そこはその時、韓国人が何千人もいました。
みんなが現員徴用(一般募集により配置され働いていた人の身分だけを徴用者に転換する制度)だといって、それで現地で働いている、その状態のまま徴用ということになってしまったんです。徴用でしょっぴかれたのではなく、従業員たちは、日本が定めた法によって、まあ、身分が一日にして徴用者に変わってしまったということです。記録上、それで徴用でしょっぴかれたみたいになっているんだよ〉
 
老人の証言によると、徴用が始まる前に学力や年齢などを偽ってまで労働者の募集に応募し、高い競争率を乗り越えて日本へ行き、仕事をしてきたのだという。
そして後に徴用令が施行されると既に日本で働いていた朝鮮人の身分も徴用に変わったため、自分も書類上の身分が徴用労働者に変わっただけだという。それが、現代の韓国では「連れていかれたこと」になってしまったと主張しているのだ。

 別の例を見てみよう。朝鮮人徴用労働者の「通訳」として日本に渡った朝鮮人の証言を見ると、自分は日本語ができたので通訳として行ったから苦労はしなかったし、戦争が終わったときには残念だという思いがあったという。

〈住友炭鉱は、まだ待遇がよかった。三菱の山(炭鉱)は、きついと噂されていた。
「住友炭鉱で日曜日になると、同胞が故郷に送る手紙の代筆をして忙しかったよ。だいたい、わしは日本に来てから苦労してない。言葉を知っとるけん。言葉を知らん人は、みんな苦労しとった」(中略)
住友炭鉱で働きだして五年経ったころ、日本が戦争に負けた。
「戦争が早く終わったんで、本当は悔しかった。住友が大事にしてくれたから」
五百人の朝鮮人坑夫のほとんどが故郷へと帰っていったが、彼は日本に残った。
──李基淳(1919年生)
(『在日一世』李朋彦 リトルモア 2005年)
この証言者は、学校の教師の月給が45円だった時代、通訳として日本へ行けば70円貰えたために日本行きを決心したという。彼は日本で裕福な老年を送っている人だが、もし彼が韓国内にいたら、果たして「戦争が早く終わって本当に悔しかった」というような証言ができただろうか。

◆戦時中の朝鮮人労働者は「同情」の対象なのか
ここでは、戦時中に日本へ渡り仕事をしていた朝鮮人労働者たちに対して、あまり知られていない姿をいくつか紹介した。しかし、驚いた人もいるに違いない。なぜなら、日韓両国で「常識」になっている姿とはあまりにもかけ離れた話だからだ。
日韓両国の教育とメディアが伝える朝鮮人労働者の姿は飢えと重労働に苦しむ奴隷そのものだ。しかし、朝鮮人労働者の中には大金を貯めて帰国した人もいたし、無一文で渡日し工場労働者を経て会社を設立し社長の座まで上り詰めた成功者も、日本での生活に満足して日本に残った人もいた。ただ、残念なことにこのような話は過去の記録と、ほとんど知られていない個人史の記録でしか出会うことができない。
このような偏った記憶は、常に「被害性」を強調しながら歴史を語る韓国側にも責任があるが、朝鮮人労働者を常に「弱者」そして「同情の対象」としてしか語らない日本のメディア、研究者たちにも一部の責任はあると思う。
私が見つけた資料と確認した記録を見る限り、私の先祖たちはそんなに弱い人たちではなかった。彼らは自分の権利と利益を守るため抗議する時は徹底的に抗議をし、上司や監督と揉める時も怯むことはなかった。殴られたら殴り返すくらいの根性もあった。何より経済的な利益に敏感で、少しでも賃金と待遇がいい職場を探して転職や引越しをし、時には脱走も辞さなかった。日韓の教育とメディアが表現する朝鮮人の姿、つまり給料も貰えず、飢えや暴行に苦しみながらも黙っているような臆病で、無気力な人ではなかったのだ。
当時の朝鮮人労働者たちを弱者、同情の対象として見る見方はむしろ、貧困と差別と闘いながら苦境の時代を乗り越えた彼らの根性と気迫を過小評価する「失礼」な行為ではないだろうか。

※崔碩栄・著『韓国「反日フェイク」の病理学』(小学館)より一部抜粋、再構成

【プロフィール】チェ・ソギョン/1972年、韓国ソウル生まれ。高校時代より日本語を勉強し、大学で日本学を専攻。1999年来日し、関東地方の国立大学大学院で教育学修士号を取得。大学院修了後は劇団四季、ガンホー・オンライン・エンターテイメントなど日本の企業で、国際・開発業務に従事する。その後、ノンフィクションライターに転身。著書に『韓国人が書いた 韓国が「反日国家」である本当の理由』、『韓国人が書いた 韓国で行われている「反日教育」の実態』(以上、彩図社)、『「反日モンスター」はこうして作られた』(講談社)など。最新刊は韓国の「反日」の正体を検証した『韓国「反日フェイク」の病理学』(小学館新書)。

以下、コメントです。

  • 強制性などなかったことは事実だと思う。彼らは嘘を吐いて金をタカろうとしているだけだ。絶好のタイミングだから日本企業は今また彼らを雇用するのをやめて欲しいと思う。将来またタカられる問題を生み出すだけという気がする。

  • 政府は徴用工は募集に応じた労働者であるという正しい事実をしっかり発信を続けてほしい。
  • 今もそういう人がいます。
    だけど数十年後の事を考慮して、日本企業は彼等を雇用するのは控えた方が良いと思います。

  • 慰安婦も募集だったと聞きますが…。
  • 日本のマスコミは徴用工という表現はやめて応募工という名称にすべきと思うが。

  • 僕の祖父も戦時中、炭鉱の紘夫の責任者でした
    国籍関係無しに手厚くしてたのに…と実母が申しておりました
    昨今の手の平返しに、憂えておりましたし、鬼籍にも入ってしまったので、あの世で歯痒い想いしてると思いますよ
    ちゃんと真実伝えないと、こんな話、ゴロゴロあるはずです
  • こういう相手に岩屋のような対応する大臣は交代させるべき
  • 日本は事実をしっかりと世界に発信して下さい。変な妥協は数十年後新たな国家問題として利用されます。「相手は日本人ではなく韓国人である」ことをしっかりと認識し曖昧な態度や対応をしない。今の現状はそうしなかったツケが周ってきたのです。レーザー照射問題も岩屋大臣の対応は0点どころか将来に禍根を残す大失態です。
  • 老人が拘束されないことを祈ります

  • こういう人のこういう話を、是非、韓国語で韓国向けに発信して欲しい。
    既に実行されていても、彼の国では、隠蔽されてしまうのかも知れないが、このご時世であれば、、インターネットによる個人発信でも、目にする人は一定数いるだろう。

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最近は、何故か?リフォームに伴うDIYが増えました。(笑)

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