いやあ、記事を書こうにも、世の中は目まぐるしい程、色々起きては次々と話題が出て来て編集していた記事がボツとなり、そのまま保存というものが結構あります。
「江本勝氏を偲んで その2」と言う記事もその一つで、今はエボラ出血熱の方が重要な課題だったので、やはりタイミングが遅れましたが、考える事があり今頃になって掲載したいと思います。
江本さんに関しては、彼からの影響はかなり大きく、特に「波動」に関することでした。
その次が、エネルギーと水との関係です。
波動は、やはりエネルギーですから、究極的にはエネルギーになります。
私が江本さんにお会いした時は、MRAによる自身の波動チェックを受ける為でした。
当時は、創価学会をやめて大体5年後でしたが、波動チェックを受けてみたら色々な毒素波動が一杯出て来て驚き、ショックでした。
今考えてみると、やはり、創価学会による害毒と言うか?ネガティブなエネルギーが抜けきっていなかったんでしょうね。
こんな状態では、EAVと言う測定機器でも残念ながらオール50になる訳ではなく、大体60~65と言う気が荒い状態を表していました。
MRAにしても、EAVにしても、これらの測定で科学の力により誤魔化せない程、自身のレベルが分かりますし、創価学会の影響で相当怒りっぽくなっている事も分かりました。
MRAによる波動チェックでは、自身の色々な毒素波動を中和する波動水を飲みますと、波動水の味が変わるのが分かるんですよね。
甘く感じたり、または別の味がしたりと実に不思議です。
波動水は、何らかの成分も入れる訳ではなく、MRAで波動を変えるだけなのに、まるで砂糖やその他のものを入れたのでは?と思うほどの変化で、波動やエネルギーを変えるだけで、こうも変わるとは?と言う当時の私にとっては実に衝撃的な体験でした。
波動やエネルギーと言うものは目には見えませんが、実に重要な事なのです。
20年前のMRAによる波動チェックだと何時間もかかりましたが、EAVではもっと簡単になります。
EAVではオール50だと、MRAでも良好な数字が出ますので、その逆も又しかりです。
みなさんに波動やエネルギーと言う目に見えないものを説明するのに、EAVで説明する方が手っ取り早く、EAVを中心に話を進めていきます。
私が創価学会をやめた頃は、結構創価学会に対して色々と不信感を持っていました。
後になって、それが正解だったんでしょうが、当時はネット環境がある訳でもなく相談出来る人が居なかったのですよ。
それが怒りのエネルギーとなって、EAVでは気の荒い60~65と言う数字が出たのでしょうね。
この様な状態ではネガティブなところにフォーカスしがちとなる為、そう言った感情で日蓮さんを語るとしたら「日蓮さんはとんでもない人だ」と言うネガティブな意見が出ても不思議ではありません。
逆に、私の様にあれから20年以上も経ち、EAVで測定してオール50、エイトスターダイヤモンドを外してもオール50と言う癒された状態では、気が荒れている訳でもありませんし、怒りのエネルギーなんで全くありません。
むしろ、感謝の気持ちが強く、平安そのものです。
こう言った状態で日蓮さんを語るとしたら、ポジティブなところにフォーカスしますので、日蓮さんの良いところ、良かったところを探します。
確かに、日蓮さんは自己主張が強かった?過激だったとか?色々なネガティブな意見もありますが、忘れてはならないのは難解な仏教と言うものをたった7文字の「南無妙法蓮華経」と言うお題目に仏教の中心に集約した事に驚きを感じますし、今でもたまにお題目を唱えると平安な心に更なる平安が訪れます。
このお題目は、EAVでもオール50になれるとの事だったので、やっぱりねえと言う感じです。
でも、「南無阿弥陀仏」もEAVでオール50になるとは知らなかったなあ~(笑)
「有難う」と言う言葉も、EAVでオール50になるそうです。
言葉って、凄いね。
「
南無妙法蓮華経」 「南無阿弥陀仏」
また、水の結晶にしても、「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」の両者とも美しいですが、やはり、「南無妙法蓮華経」の方が格段に美しいですね。
これの詳しい事は、このサイトのページに掲載されています。
もちろん、「水からの伝言」については、否定的な意見がある事も承知しております。
この「南無妙法蓮華経」と言う文字が認められた曼荼羅が、日蓮正宗では「御本尊」と呼ばれています。
人によっては、日蓮さんを中心に諸天善神を侍らせていると言う意見もありましたが、私には残念ながらその様には見えません。
「人法一箇」と言ったところで、日蓮さんに相当する「日蓮」の文字は「南無妙法蓮華経」の下ですし、日蓮さんの下に諸天善神を置いているように書いている訳でもありません。
結構、日蓮さんの上に書いています。
また、横にも書いていますが、これは曼荼羅と言う紙面のスペースの都合上だろうと思います。
本当に日蓮さんが諸天善神を下に見ているならば、上座に日蓮さんの名前があるはずなのですが、結構下座に位置しています。
もう一度よく見てください。
完全に日蓮さんの下に置いて書かれている諸天善神は一人も見当たりません。
これは、日蓮さんは諸天善神を祀っている事の表れではないでしょうか?
本気で、他の神様を否定しているのであれば、この様な事がないはずなのです。
日蓮さんは、相当 諸天善神を敬っているように見えるのは私だけでしょうか?
EAVで言う所のオール50と言うのは、どんな状態なのだろうか?自身の身を持って体感し理解しますので、それ以上でもそれ以下でもないと言う事が実に良く分かりますし、物事が冷静に見る事が出来るんですよね。
祈りにしても、みなさんが考えている様な特別な時に祈ると言う事はなくて、もう本当に生活そのものが祈りと言う感じなんですよね。
もし、神仏にお願いするとしたら余程の事だけと決めていますので、だから、ほとんど願い事はしません。
それは自分達で努力すれば良いだけの話ですし、人生は自己責任の、そして、学びの連続だからです。
日蓮さんは、結構オーバーに大げさに言いましたが、拡声器もなかった時代ですし、科学もありませんでしたので、日蓮さんの事を理解出来る人も殆ど居なかった時代ですし、日蓮さんにしてみたら、民衆は人間の赤子や子供に等しく、彼らを導くのにどうしても極端に語る事で結構方便を使ったと言う事が考えられます。
ですから、書き遺された文献は、そのまま受け止めるのではなく、何を言いたかったのか?良く考える事も大事だと思いますね。
また、日蓮さんもやはり人間です。
私は、日蓮本仏論にある様な日蓮こそ末法の御本仏とか?全く思っていません。
「地獄」と言う言葉にしても、本来の意味は精霊の話によれば下記の通りです。
「地獄と云う言葉自体、古代エジプト時代に作られた言葉です。
元々エジプト人は地獄と云った所は「浄化の場所」「純粋な場所」だったのです。
ですから、よく日本で言われる所の閻魔様が地獄で待っていると云うのも、すべて人間が考え出したシンボルです。
しかし古代エジプトでは地獄と云うのは浄化の場だったのです。
「浄化の場」と云うのは、ネガティブな考えを切り捨てる事によって魂を更に向上させるための場でした。」
古代エジプトと言うのは、今から5000年前の時代ですが、これを話された精霊も5000年前に生きていたエジプトの神官でした。
この精霊は、釈迦よりは古い時代の人ですし、大先輩のはずですよね。
日蓮さんも「地獄」と言う言葉を誤って使われていますが、彼も人間ですし、精霊は日蓮さんの事を「本仏」と言う表現はされず、単に偉大な僧侶だと表現されていました。
それよりか、日蓮さんが残した七文字の「南無妙法蓮華経」がEAVでオール50になったり、水の結晶でも美しく出現すると言う事実。
日蓮さんと言う人が、民衆を欺く様な人ならば、水の結晶が美しい?EAVでオール50になる様な「南無妙法蓮華経」と言う言霊を生み出せないし、後世に残せないと思うんですが、如何でしょうか?
こう書くと、誤解の無い様に申しあげますが、私は創価学会を擁護している訳ではありません。むしろ、その反対です。(笑)
そう言った意味では、言葉に対する水の結晶など、江本さんの残した業績は大きいものがありますね。PR
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