前回の記事では、日蓮正宗の広告をご紹介させて頂きましたが、私が日蓮正宗の入信は17~18歳の頃だと思います。もちろん、創価学会を通して入信したことになります。
それにしても、数年後には創価学会が日蓮正宗門に破門され、現在の様に日蓮正宗が一般の新聞にある広告を通して迷える学会員を教導しょうとは夢にも思いよりませんでした。
ちょっと悲しい現実です。
現在の私は、創価学会とは関係のない暮らしをしており、もちろん日蓮正宗とは何時しか離れて行きました。
それは、日蓮正宗が必要ではなくなったからです。
誤解の無い様に申し上げますが、日蓮正宗を否定しておりません。
これは、日蓮さんの教義が理由ですが、方便が多く、真実が分からなくも無いのですが、700年後の現代においては相応しくない部分が多くなっている事も理由のその一つでしょう。
仏道修行の目的は、自身の仏性、仏界を湧現する為であり、その為に朝晩の勤行、唱題をする事になっています。
修行の理論的裏づけに教学の研鑽があり、布教もする事になります。
要するに、信・行・学の3本柱が欠けること無く実践する事になりますが、最終的に仏性とは?仏界とは?これらを探求していくと、その流れでエイトスターダイヤモンドの存在を知りました。
仏教と言うものは、例えば一念三千の法門のように十界・十如是・三世間とかそう言った緻密な理論で環境と心のあり方の分析には大変役に立ちます。
キリスト教は愛を説きますが、仏教の様に心の問題点を解いていないのです。
はっきり言って、キリスト教は血なまぐさいと言うか?戦いのための宗教と言う感じです。
聖書は、宗教書と言うよりは歴史書です。
特に、異星人との契約の書と言う様な印象を受けます。
ですから、仏教では心の問題点を解いているのですが、心の磨き方とか?は余り詳しくなくてその先が無いのです。
神道の場合は、教祖が居ませんし、教義もありません。
戒律も偶像崇拝もしません。そして、組織も無いのです。
ただ、霊界にも詳しいので心の磨き方と神へと向う知識と方法を学べる様で、この辺が仏教にはありません。
この辺は次の機会にもう少し詳しく述べたいと思っていますが、この記事の目的ではないのでとりあえず神道に関してはここまでとします。
とにかく、日蓮正宗の様に朝晩の勤行、唱題をしたら仏界が湧現する?仏性が開く?と言いますが、今になってみればちょっと考えてしまいます。
現実は、そんなに甘いものではないはずです。
それでも、日蓮さんは示唆だけは残してくれました。
ダイヤモンドの事を金剛石と表現し、それにまつわる比喩も残しました。
ですから、仏界と言うもの、仏性と言うものを探求していったら自然とエイトスターダイヤモンドに辿りついた訳です。
だから、全容を知ろうと思ったらキリスト教も仏教も神道も勉強した方が良いだろう?
しかし、全ての人がこれらの宗教を一通り勉強しょうと思ったら多分不可能ではないか?と思います。
実に考えさせられます。
下手をすれば、余計に精神の迷子になるリスクもはらんでいます。
難しいですねえ。
そう言う事があるが為に、私の娘達には絶対に宗教の団体には入るなと口を酸っぱくして言っています。
個人でするなら、問題ありません。
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