創価学会の動向については、アンチ創価の方々が頑張ってブログ記事にしておられていますのでそちらの方へ参照して頂ければ幸いです。
はっきり言って創価学会の本部職員並びに上層部は詐欺と欺瞞の世界なので、「カルト」そのものです。
カルト宗教「創価学会の問題点」
末端の学会員、あるいはその幹部はノルマに追われ、苦悩やネガティブなエネルギーの渦巻く世界ですから、精神的な創造性がありませんので楽しくない世界なのです。
ポジティブ・シンキングとは対照的な世界ですから何かと暗く重たいのです。
これは仕方の無い事で、ある意味、彼らはそう言う状況を楽しんでいる節があるのかも知れません。
「うそーっ」と思われるかも知れませんが、ただ本人が気がつかないだけで、だから、抜け出せにくいのです。
特に、脱会者あるいは覚醒した者ならば理解出来ると思いますが、今も信じている学会員に説得を試みても聞き入れないでしょう?
何故なら、気づいていない本人はそれで楽しんでいるからであって、例えばの話をします。
貴方が何かの好きな趣味をやっているとします。
その趣味が昂じている時、それをお金の無駄だから何だからと誰かに説得されても聞き入れるでしょうか?
殆ど、聞き入れないと思います。でも、いつかは飽きるかも知れません。
飽きた時がチャンスなのですが、それは保障出来ません。
とにかく、趣味が昂じている時と言うのは、自身のエネルギーがその方向へ向けていますので他の方向へ向かない限り、スパイラル的に発展していきますから昂じて行く事になる訳です。
学会員が熱心にやっている時って、財務でお金を出してもその時は大義のためと思ってお金の出費が痛く感じないことがあります。
そういう状態の時は、その時の精神状態がスパイラル的に発展していくので他者の意見を受け付けないと言うことがあると思います。
これは、自分から引き寄せている訳ですから、すぐにそのサイクルからなかなか抜け出せないはずです。
そう言う状態の時を皆さんは心当たりがありませんでしょうか?
皆さんも経験がおありでしょう?
だから、本人が醒めていくのを気長に待つしかありません。
創価学会の話は余り好きではないので、これ位にして本題に戻します。
日蓮と法華経について分かり易くまとめた記事がありましたので、これについて私の話を載せたいと思います。
http://amiyan.jp/seiten/hokekyou.htm
http://amiyan.jp/seiten/nitiren.htm
http://amiyan.jp/tokushu/nitiren.htm
さらに、もう一つ見て欲しいサイトがあります。
http://park5.wakwak.com/~soka/risshou.htm
ここまでご覧になれば、もうお分かりでしょうが、問題は日蓮さんの布教の仕方にあります。
鎌倉時代の当時は科学の無かった時代ですし、庶民の皆さんは学があったか?どうか?は心もとないように思われます。
現代は、科学が進歩して見えない世界も研究されていて段々と色々な事が分かって来つつあります。
そこから考察しますと、
鎌倉時代はよく災難が起こりましたが、その原因として四箇の格言と言って
立正安国論に説かれる「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。」
一切の不幸の原因は謗法にあると言っていますが、本当でしょうか?
現代においても創価学会を見れば分かると思いますが、日蓮正宗と同じ「南無妙法蓮華経」を唱えていても、彼らは幸せでしょうか?
答えは、「No」です。
題目を唱えても幸せにならない?自殺する人も居ますので題目以外に不幸の原因がある事が分かります。
「南無阿弥陀仏」と唱えたら、人は不幸になるのでしょうか?
鎌倉時代においては、一応方便として過激なやり方でやらないと民衆を救えないと言う日蓮さんの言い分を聞かせて頂くとしても、日蓮正宗は700年後の今でも「文底下種の三宝」と言って、
仏宝―日蓮大聖人
法宝―本門戒壇の大御本尊
僧宝―日興上人を随一とする御歴代上人と立て、これらを拠り所としています。
ですが、東洋医学と西洋医学の融合の結果としての「EAV」と言う電子鍼灸器がありますが、念仏の言う「南無阿弥陀仏」、日蓮の「南無妙法蓮華経」も共に中庸で最高の「50」と言う数字が出ると言うデータがあります。
「有難う」と言う感謝の意がこめられたその言葉も、EAVでは「50」の数字が出ます。
更に、水からの伝言と言う事で、「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」の水の結晶の写真があります。
「南無阿弥陀仏」の水の結晶は、残念ながら破壊的な結晶では無く均整の取れた結晶となっています。
そして、とどめは結晶内部に見られる光はピンクと緑であり、この2色は波動的に愛と感謝に対応する色だそうです。
いやあ、参りました。
この様な結晶を見たら、「南無阿弥陀仏」を唱えたら「念仏無間」と言い切れるものなのでしょうか?
こうして、科学のメスを入れる事で、今までの見直しを余儀なくされています。
チャネラーのリサ・ロイヤルの書籍では、宇宙人は「天変地異は感情の抑圧にある」と伝えられています。
例えばですが、「ポルターガイスト現象」と言うのをご存知でしょうか?
ある感情が芽生えても、それが何故生じたのか?頭で理解出来ないと人間はそれを抑圧しょうとします。
つまり、衝撃的な体験に遭うと人間はその記憶を抑圧しょうとするので、さらに抑圧して来た感情のエネルギーが後々に外部に解放されそうになるとそれを妨害します。
つまり、人間は自らのエネルギーの自然な流れに対して二重の抑圧をして意識内の圧力を高めているのです。
極度に抑圧されてきた感情エネルギーは、いずれ吐け口を見つけますが、それはしばしば「ポルターガイスト現象」と呼ばれる超常現象として表れます。
人間は、自覚のある無しに関わらず、地球と言う生命体の表現媒体であるとの事、だから、人間が出来る地球への最大の貢献は本来の貴方自身を表現する事にあるとされています。
地球上のすべての人々が自分のフィーリングや創造性を自由に表現すれば、地球は穏やかで居られるとの事、つまり貴方が大地のエネルギーの媒体になれば、地球は健康で居られると言うのです。
しかし、残念な事に大半の人々は感情を抑圧して自分を自由に表現しません。
人間を通して表現されるべきエネルギーが滞ると徐々にプレッシャーが高まります。
それが臨界点に達すると、地球はバランスを回復する為に天変地異によって溜まったエネルギーを解放する。
つまり人々が自分の感情を抑圧したり、自分を表現せずに押し殺している事が天変地異の原因になるとの事。
まさに人間は生態系の一部です。
これを読んで如何でしょうか?
上記の詳しい事は、
「宇宙人 遭遇への扉」(人類の進化を導くプレアデスからのメッセージ)リサ・ロイヤル キース・プリースト共著 にあります。
なる程なあと思いました。
こう言った話には宗教云々の話や日蓮さんの話よりはかなり具体的であり、現実的で込み入った話ですから私には納得いたします。PR
この記事へのコメント
おはようございます。
「慈悲の祈り/アミヤン」凄いですね。これから読みます。難しいと思うと後にしようと思ってしまったりします。(笑)しっかり勉強をしないと、ダメですね。
「立正安国論に見る日蓮のカルト性」は読みました。凄いですね。私も日蓮仏法自体にカルトの要素があると言ってきましたが、この様に論理的には語れないのですよね。それにしても日蓮さんは38歳の時 やはり凄い人ではあるなと思います。38歳の時だけでなく、その生涯は凄いものだったと思います。しかし残念なのは、やはりカルトだと思います。
日蓮を信じなくても、日本と言う国は、鎌倉時代に滅びませんでしたから、やはり正しくはないですね。
今は、ワンネスの考えで精神世界を探求してしまいます。やはり深まると、古代文明、古神道などに行き着く人が多いのかな!と思います。あと、宇宙ですね。(笑)
私は、まだまだです。
最近、良いなと思った言葉です。「芸術と言っても、単なる芸術ごとだけではない、そこに神の光を内在し人びとを悟りに導くものがあってこそこの芸術の光は意味をなすのだ。」です。やはり神(宇宙)は芸術からも悟りに導いていたのだと思いました。
どの宗教にも優れた芸術はあります。西洋にも東洋にも…、もうこれからは宗教を超えたところで、人類が分かり合えると良いですね。
また、長くなりました。すみません。
PS蒸留水に引き続き、雑穀ご飯になりました。(笑) 家族の評判は良いです。ただ、どこの雑穀が一番よいのかしら?と思います。(笑)
では、いつも本当に有り難う御座います。
m(_ _)m
続き
>それにしても日蓮さんは38歳の時 やはり凄い人ではあるなと思います。38歳の時だけでなく、その生涯は凄いものだったと思います。しかし残念なのは、やはりカルトだと思います。
確かに凄い人ですね。並の神経ではない事は確かです。(笑)
>日蓮を信じなくても、日本と言う国は、鎌倉時代に滅びませんでしたから、やはり正しくはないですね。
なる程、結果論的には正しくなかったことになりますね。
ただ、法門の中でもけっこう役に立つ内容がある事は確かなのですが、全部が全部ではないですねえ。
>今は、ワンネスの考えで精神世界を探求してしまいます。やはり深まると、古代文明、古神道などに行き着く人が多いのかな!と思います。あと、宇宙ですね。(笑)
私は、まだまだです。
なる程、皆そうなりますねえ。
心が自由になると、すべてが全部繋がっていると言う事が理解出来る様になりますので、知覚の対象がすべてになる為、探求のたびに知覚の範囲が少しずつ広がっていくんですね。その相乗効果でワクワクする事が見つけられるようになっていきます。
>最近、良いなと思った言葉です。「芸術と言っても、単なる芸術ごとだけではない、そこに神の光を内在し人びとを悟りに導くものがあってこそこの芸術の光は意味をなすのだ。」です。やはり神(宇宙)は芸術からも悟りに導いていたのだと思いました。
どの宗教にも優れた芸術はあります。西洋にも東洋にも…、もうこれからは宗教を超えたところで、人類が分かり合えると良いですね。
いやあ、素晴らしい言葉ですねえ。
ご紹介有難う御座いました。
>蒸留水に引き続き、雑穀ご飯になりました。(笑) 家族の評判は良いです。ただ、どこの雑穀が一番よいのかしら?と思います。(笑)
雑穀ご飯でも良いのではないですか?
田村氏は、長岡式酵素玄米をお奨めしている様です。
私も昔は長岡式酵素玄米を摂っていました。
今は、スーパーで売っている玄米で間に合わせています。玄米と白米との半々で頂いています。(笑)
おはようございます。
日蓮には、法華経が凄く理解できたのだと思いますが、やはり、どうしても、自分を信じないと地獄に落ちる。としたことが今の私には、理解できないのです。そして、法華経、寿量品第十六に日蓮のことが門底秘沈されているとのことですが、どのように門底秘沈されているのか?答えられる人はいるのでしょうか?
日蓮は素晴らしい法門を説いた人ですから、仏法に興味のある方が学ばれるのは良いのではないでしょうか。
私には、難解です。
失礼致しました。
ブログ運営をされている方々は、大変だと思います。そして、自分の考えを発信されていることを凄いと尊敬致します。
また、長くなりました。
いつも、有り難う御座います。m(_ _)m
そうですねえ。
>日蓮についてですが、日蓮仏法を深く学ばれた方々には、とても失礼なコメントをしてしまった。と思いまた。
そうですねえ。
> 日蓮と言う人は聖人と呼ばれるにふさわしい法門を残されたのは確かだと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・法華経の意味が分からなくても、南無妙法蓮華経と唱えるだけで成仏(仏界)できるとしたことも素晴らしいと思います。南無妙法蓮華経とは原因結果が共にある法華経に帰依すると言うことです。
その通りですね。
日蓮さんは行間を読む事の出来る才能もあった様ですし、又「現世安穏後生善処」と言う様に現実的な人だった様です。
その為、あの世に関する事になりますと、やはり力不足を否めません。
日蓮仏法の法門も完璧ではないのです。
例えば、神霊との交渉となると古神道の門を叩くしかありません。
それ位、人や物事にはそれぞれ役割があった様です。
> 私は、日蓮の教えのほんの一部しか知りません。しかし、自分を信じないと地獄に落ちる。としたことに、私は違和感を感じるのです。そこをカルトに利用されてしまうと思ったのです。日蓮の教えが素晴らしいもであるがゆえに、信じないと地獄に落ちると言われたら、どうしても信じることをやめることができなくなります。
日蓮には、法華経が凄く理解できたのだと思いますが、やはり、どうしても、自分を信じないと地獄に落ちる。としたことが今の私には、理解できないのです。
日蓮さんは、あくまでも「南無妙法蓮華経」を信じなさいと説いてまわったのです。
これには、間違いはありまぜん。
ただ、日蓮さんのやり方の真意が周囲には理解され難かっただろうと思います。
と言うのも、日蓮さんは行間を読む事の出来た人ですから、法華経寿量品第十六の中に「妙法蓮華経」が文底秘沈されている事を見抜く事が出来た訳です。
そして、当時は鎌倉時代で宗教界も入り乱れていました。
当時の人々は、念仏やその他の宗教も信じていましたし、その中にあって、「南無妙法蓮華経」を信じて唱えたら救われると説いて回りましたが、立正安国論にある様に歩いていくと道には人の死体が累々と重なっている様な異様な状況でした。
そう言った背景の中にあって、穏やかに説いてまわったら説得力がなかった可能性があります。
ですから、例えば、すぐそばに火事が迫っているとして、そのそばに子供が居るとします。
子供達を助けようと思ったら、いろんな方法がありますが、その時に「こらーっ、そこへ行っちゃイカン!!」「危ない!お前、こっちへ来い」などと普段穏やかな人でも怒鳴りながら注意すると思いますし、その可能性も高いと思います。
子供達を助けようとする大人が、子供から見たら怖い人に見えるかも知れません。
それと同じ様に、日蓮さんは大袈裟に言う事によってこちらへ注意を仕向けるようにした訳です。
だから、『「南無妙法蓮華経」を信じないと地獄に堕ちるぞ』と言う具合にです。(笑)
でも、日蓮さんの真意が分からない人から見れば、カルトに写っても仕方がありません。
もう一つ、グレイタイプの宇宙人が地球人に対して怖がらせない様にと思って、最初は人間の無意識にテレパシーでコンタクトをとります。
本人の無意識からは了解を取った上で、実際に本人とコンタクトをとりますと宇宙人の容姿の異様さに怖がられて恐怖心を起こすそうです。
その時に、無意識の声と顕在意識の声がそれぞれ違う事に宇宙人は戸惑うそうです。
この事からも、もうお分かりですよね。
いつの時代でも、どこの世界でも人を導くと言うのは大変難しいと言う事を意味している訳ですね。
だから、勘違いされて悪用される可能性は十分にありますね。
ある人から聞いた話ですが、学会の婦人部の人からは「・・・・しなかったら、貴方はガンになるわよ」と言われたそうです。
もう昔の事なので詳しい事は忘れましたが、印象の残った言葉だけが妙に覚えています。(笑)
「・・・・・しなかったら、地獄に堕ちるぞ」と同じ理屈なので、笑ってしまいました。
人間って、そんなもんです。(笑)
>そして、法華経、寿量品第十六に日蓮のことが文底秘沈されているとのことですが、どのように文底秘沈されているのか?答えられる人はいるのでしょうか?
日蓮ではなくて、「妙法蓮華経」ですね。
私には答えられません。
それが出来た人は日蓮大聖人様ただお一人と言う事になっています。
>日蓮は素晴らしい法門を説いた人ですから、仏法に興味のある方が学ばれるのは良いのではないでしょうか。
その通りですね。
私も難しいですね。(笑)
色々とお話が出来て有難う御座いました。
こんばんは!
そんなコメントに冷静なコメントを下さり有り難う御座いました。
そうですね。創価をカルトと言っても学会員以外の人なら同意する人もいると思いますが、日蓮をカルトと言う人はいないですね。あくまでも、カルト性がある、と言うことですね。
創価を脱会する時も凄く勇気がいることでしたし日蓮正宗に戻るか戻らないかを決めるのも、とても悩んだのです。創価は確かにおかしくなっているのは分かったのですが、日蓮正宗は正しいのではないか?との思いがあったのですが、やはり他の宗教を邪宗としてしまうとやはり、創価と同じで世間を狭くしてしまうので、自分の中で悩んだ末に、特定の宗教を信じることをやめる結論をだしたのですが、私の中では創価も日蓮正宗も同じようなものになってしまったのだと思います。
日蓮の仏法は、日蓮正宗、日蓮宗、一般的に日蓮について研究する、に分けると違いがあるのではないか?と思います。
私は、創価を通して日蓮仏法を少々学んだに過ぎないのだと思います。
そして、私は、日蓮は久遠元初の仏であり、日蓮=妙法蓮華経だと教えられたと記憶していました。
だからと言って、もう一度日蓮について勉強しなおしたいとも思わないです。
ただ、人間として未熟過ぎると思いますから、色々な考えを学びながら、人間として成長していきたいとの気持ちはあります。
自由に色々と学んでいきたいと思います。
いつも思うことは、もっと頭が良かったらいいのに!です。(笑)
いつも、温かく冷静なコメントを有り難う御座います。
m(_ _)m
PS、ベンジャミン・フルフォードの「闇の支配者」のお話は、どこまでが本当なのでしょうか?(笑)
調べました。
あくまで、日蓮正宗の場合ですけれども、日蓮正宗は日蓮を本尊にしています。
御書の、文底秘沈抄には「久遠元初の自受用報身の再誕・末法下種の主師親・本因妙の教主・大慈大悲の南無日蓮大聖人是れなり」とあります。
人本尊が日蓮大聖人であり、法本尊が南無妙法蓮華経であり、その体は一つで、人法一箇である。としています。
ですから、日蓮正宗の御本尊は日蓮であり、曼陀羅には真ん中に南無妙法蓮華経とあるのだと思います。曼陀羅は久遠元初の仏である、日蓮の生命を現していると教えられました。
あくまでも、日蓮正宗と創価の場合ですが、このことから、南無妙法蓮華経=日蓮としていると思います。
今の私には、重要なことではないですが、自分はそのように、教わったと言うことです。
すみません。細かいことですけれども、気になってしまいました。
ですから、日蓮の仏法は日蓮正宗 日蓮宗 日蓮を研究する人によって、違う捉え方になると思います。
度々、失礼致しました。m(_ _)m
本日は少し暑いですね。
>創価をカルトと言っても学会員以外の人なら同意する人もいると思いますが、日蓮をカルトと言う人はいないですね。あくまでも、カルト性がある、と言うことですね。
そうです。
>創価を脱会する時も凄く勇気がいることでしたし日蓮正宗に戻るか戻らないかを決めるのも、とても悩んだのです。創価は確かにおかしくなっているのは分かったのですが、日蓮正宗は正しいのではないか?との思いがあったのですが、やはり他の宗教を邪宗としてしまうとやはり、創価と同じで世間を狭くしてしまうので、自分の中で悩んだ末に、特定の宗教を信じることをやめる結論をだしたのですが、私の中では創価も日蓮正宗も同じようなものになってしまったのだと思います。
そうですね。
正しいのは正しいのですが、科学が進歩していく現代に相応しくない!それだけです。
>日蓮の仏法は、日蓮正宗、日蓮宗、一般的に日蓮について研究する、に分けると違いがあるのではないか?と思います。
解釈の仕方に違いが出るでしょうね。
>私は、創価を通して日蓮仏法を少々学んだに過ぎないのだと思います。
そして、私は、日蓮は久遠元初の仏であり、日蓮=妙法蓮華経だと教えられたと記憶していました。だからと言って、もう一度日蓮について勉強しなおしたいとも思わないです。
ただ、人間として未熟過ぎると思いますから、色々な考えを学びながら、人間として成長していきたいとの気持ちはあります。
自由に色々と学んでいきたいと思います。
宗教は本来科学ですので、宗教を根本にするのではなくて参考程度にしたら良いのです。
>あくまで、日蓮正宗の場合ですけれども、日蓮正宗は日蓮を本尊にしています。
御書の、文底秘沈抄には「久遠元初の自受用報身の再誕・末法下種の主師親・本因妙の教主・大慈大悲の南無日蓮大聖人是れなり」とあります。
人本尊が日蓮大聖人であり、法本尊が南無妙法蓮華経であり、その体は一つで、人法一箇である。としています。
ですから、日蓮正宗の御本尊は日蓮であり、曼陀羅には真ん中に南無妙法蓮華経とあるのだと思います。曼陀羅は久遠元初の仏である、日蓮の生命を現していると教えられました。
あくまでも、日蓮正宗と創価の場合ですが、このことから、南無妙法蓮華経=日蓮としていると思います。
人法一箇とは、日蓮大聖人様が人本尊、南無妙法蓮華経が法本尊となっていますが、「南無妙法蓮華経」と言う題目は唱える事でバイブレシーョンが発生します。
だから、言葉と言いますか?題目はバイブレーションであると言う訳です。
そのバイブレーションによって人の中に入っていくのですが、人によっては耳から聞くだけではなくて、やっぱり書いてみる、あるいはこの目で見てみると言う事が大事だと言う人も居ますので、別の形の儀式として、人法一箇のご本尊の様に曼荼羅に書かれたものが多くの人にとっては十分意味があると言う事かも知れません。
ですから、題目をあげる事ばかりやっている人は、紙に書いている人に向かって紙に書いたものの中の「南無妙法蓮華経」はどうなっているのか?
書いている人は「南無妙法蓮華経」の「音」はどうなっているのか?と云うふうに聞く人も居るかも知れません。
又、同時に紙に書かれたものを読んで「南無妙法蓮華経」を学ぶ人もいる訳です。
「南無妙法蓮華経」の仏とは?と考える人は、日蓮さんと言う類稀な人格を見たら納得するかも知れません。分かる人は分かる訳です。
そう言う意味でも両方共大事だという事で、人法一箇のご本尊があるのかも知れませんね。
>PS、ベンジャミン・フルフォードの「闇の支配者」のお話は、どこまでが本当なのでしょうか?(笑)
いやあ、ホンマやねえ。
とてもネットでは言えましぇーん。(笑)
それと、宗教法人「顕正会」も困りましたねえ。(笑)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130911-00000053-jij-soci