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皆様、今晩わ
こういう本があるのは、かなり以前から知っていましたが、眉唾の様に思えて読む気にはなれなかったのです。
これを読むきっかけとなったのは、五井野 正博士の「一念三千論で解く宇宙生命の秘密」と言う書籍にオムネク・オネクの書物が紹介されていました。
地球上のチベットでは神性の法則の聖典1巻と2巻があって、金星にはその次の3巻と4巻があり、金星は太陽系の首都だと言う事になっている様です。
すごいですね。
以上から、せっかくなので日蓮さんの事について触れたいと思っています。
現在の日蓮正宗では、日蓮さんは本仏であり、釈迦は迹仏と言う事になっていますが、高次の意識体であるアトゥンレイさんは、「偉大な僧侶」と表現していました。
そして、お釈迦様の事を仮の仏と言う意味での迹仏の話が一切ありませんでした。
まるで仏とはお釈迦様と言う様な表現だったのです。
ですから、日蓮教学に染まった私は「あれっ?」と思いました。
もしかしたら、本仏とか迹仏とか?そう言った事は重要ではないのかも知れません。
どちらかと言いますと、アトゥンレイさんのおっしゃる事は古代エジプト以来の2~3000年 約5000年の年齢であり、人類の大変な大先輩でもある訳ですから比較になりません。
ですから、日蓮さんは根源の仏でもなくて、仏教の中の人師であり論師の一人だと言う事の方が無理がありませんし、謙虚さがあって良いと思います。
と言うのも、書物によれば「マスター」と言われる存在は、金星の物理的世界でもアストラル界でも地球における偉大なスピリチュアル都市にあるチベット修道院でも何人かはいらっしゃる訳です。
もっとも大事なのは、神性の法則である教えそのものです。
そう言った事が書物に述べられています。
日蓮本仏論の様な根源の仏と言う意味での本仏、ただ一人と言う発想が、地球より精神的にも科学技術的にもはるかに進化した金星のどこにも見られないのです。
人法一箇の本仏と言う様な?そう言った特定の帰依の対象がありません。
日蓮正宗の言う御書と言うものは、手紙や釈論の集大成であり、経典ではないのかも知れません。
仏教と言うのは地球上の釈迦を始めとした東洋における思想体系でありますし、法華経は経典ですが、その経典が絶対か?どうかも分かりません。
日蓮さんの教えも、天台仏教の流れの上に構築されて来ましたから、間違っているとは思いませんが、絶対に正しいと言えるか?どうかも分かりません。
もちろん、教えには役に立つ箇所がたくさんありますし、否定しません。
だから、解釈にしても人それぞれですから、私は根本にするのではなくて、参考程度にする方が良いと言っているのはその為であり、その方が制限を設けてしまう事を防げますし、偏らなくて済むと思うのです。
人類の祖先は他の惑星の住人ですし、鯨やイルカなどの動物も他の惑星から連れて来たと言っていますし、トウモロコシと言う生態が不思議な植物も同様です。
どちらかと言いますと、チベットでは神性の法則の聖典1巻と2巻があって、金星にはその次の3巻と4巻があって、はるか昔から精神的に進化したマスターが寿命が何千年もあり、守っていらっしゃる様ですから、そちらの方が正確かも知れません。
この記事へのコメント
管理人様
なんだか日蓮信奉者としては 根っこから揺さぶられる話です。 確信とそれから未知の真理探究とのはざまで揺れています。 エリア51にいるグレイ型の対話(尋問に近いですね)を見ると、宇宙はそこにいる人類の存在などには感心が無い、と彼?は言っていますし、ワケワカな状態です。 宗教を「真実に近づくメソッド」として私は考えてきましたので、いわゆる「救い」とはそういう意味合いに捉えています。
またそこらへんのお考えをお聞かせくださいませ。
RAMBO
そうでしょうねえ。
こんにちわ
>なんだか日蓮信奉者としては 根っこから揺さぶられる話です。 確信とそれから未知の真理探究とのはざまで揺れています。
そうでしょうねえ。
私も昔の私であれば、同じ気持ちだと思います。
頭の中の整理も必要なので、最初は混乱が必至だと思います。
>エリア51にいるグレイ型の対話(尋問に近いですね)を見ると、宇宙はそこにいる人類の存在などには感心が無い、と彼?は言っていますし、ワケワカな状態です。
グレイと言っても種類が色々あるみたいで、更に人類の末期状態のタイプだとか?あるいは爬虫類から進化したタイプだとか?諸説あるみたいです。
どちらかと言うと、秋山眞人さんの言う爬虫類から進化したタイプだろうと思われます。
と言うのも、グレイタイプに会うのにヒューマノイドがその仲介に入っているので、こちらの方が確かだろうと思います。
>宗教を「真実に近づくメソッド」として私は考えてきましたので、いわゆる「救い」とはそういう意味合いに捉えています。
またそこらへんのお考えをお聞かせくださいませ。
人類は、昔にさかのぼる程、霊感があったのですが、時代が現代に近づくにつれて霊感が無くなっていった様です。
ですから、昔の宗教と言っても説教だけでも良かったのですが、今では教えが色々あって複雑になりどれが良いのか?分からない。
その為、本尊を立てた方が宗教の優劣が決まるだろうと霊感のない人間でも分かりやすいし、実践しやすい訳です。
しかし、実践しやすいと言う事は、制約があると言う事なのです。
宗教は、人類を救う為の方便です。
救うと言う事の意味ですが、本来の状態に覚醒させるためです。
宇宙人は特定の宗教がありません。
地球の言う宗教はすべて方便ですから、制約が有るがために宗教を実践していても、進化するはずの所がまるで階段の踊り場に留まっている人が多いのはその為です。
否、むしろ必要もない争いが起きているのが現状です。
真理や法則は目に見えませんが、制約がありません。
それらの写しと言う形で教えが顕現されたのだと思われます。
現代は、科学が進歩してきてこの世の物理的な事柄だけでは解決出来ない?もっと見えない何かがあるのではないか?と言う事で再び見えない?知らない世界にも探求する様になってきました。
そして、1990年にようやく宇宙と地球の真実が公開される事になった訳ですね。
アレックスさんへ
実は私は離れたいのです。 教義的拘束から、です。 「踊り場で遊んでいる(ひしめいている?)だけ」とのご指摘はショッキングですね。制約とは限界ということですね? それならそれを感じながらいくら頑張っても意味がないではありませんか。 折に触れて妻と語り合ってる時の方がなんぼか楽しいし啓示的です。(それほど高尚なことばかりではありませんが)
宗教的法悦?のような体験はガッカイ時代に二度だけありました。 これは貴重。 しかしそれはその「一定の時間だけ」にもたらされたもののように、今は思えます。 日常のお題目ではそれらは感じません。 年齢的な差し迫りを考えると、これから宗門に入って、また「月に何所帯!」という目標に追われるのかと思うと正直辛いのです。 私のとてつもない願い、つまり「真実とはなにか」ということは現実には得ることはできない我が儘でしょう。 しかしどうしてもいろんな書物やネットでそれを追ってしまいます。
人との対話も好みます。 一種、強迫観念にも似ています。 こんな私は所詮、二乗根性を脱することなどないのでしょうね。
今の今 悲しい気持ちでこれを書いています。
生活そのものが祈り
>実は私は離れたいのです。 教義的拘束から、です。 「踊り場で遊んでいる(ひしめいている?)だけ」とのご指摘はショッキングですね。制約とは限界ということですね? それならそれを感じながらいくら頑張っても意味がないではありませんか。
教義的拘束には意味があります。
鎌倉の当時では、少しでも向上するには日蓮大聖人様の信・行・学の仏道修行しかありませんでした。
本尊などの対象物を示す事で、励む様に導かれたのです。
現代は、色々な情報を得る事が容易になってきました。
それによって自分の立ち位置もよく理解出来る様になりました。
昔と現代は違うのです。
昔ならばUFOを見ても、それが宇宙人が乗っている乗り物だとは理解出来ませんでした。
仏典では、
宇宙人の事を仏とか菩薩とか?
スカウトシップの事を種々の色の花や金銀の花とか?傘蓋や天蓋とか?
マザーシップの事を花の楼閣?宝塔?しか表現のしようがありませんでした。
それを見聞した人は何の事か?まったくの理解不能でした。
しかし、科学が進歩して、UFOを見ても宇宙人が乗っている乗り物だとは想像出来ますので、科学の進歩が物事に対する理解の手助けをしている事が良く分かります。
後になって、教義も役に立っている事があると理解出来ます。
>折に触れて妻と語り合ってる時の方がなんぼか楽しいし啓示的です。(それほど高尚なことばかりではありませんが)
それは、生活そのものが祈りだからです。
>宗教的法悦?のような体験はガッカイ時代に二度だけありました。 これは貴重。 しかしそれはその「一定の時間だけ」にもたらされたもののように、今は思えます。 日常のお題目ではそれらは感じません。
毎日やっていたら、それが当たり前となって慣れてしまい何も感じなくなるものです。
嫌々やっていたらなおさらです。(笑)
久しぶりに唱えたら、心の平安が得られる事もあります。
その場合は、心から望んだからです。
日蓮さんの真意はそこですね。
日蓮さんは心に平安が得られる事を望んでいます。
その様に高次の意識体であるアトゥンレイさんもおっしゃっていました。
>年齢的な差し迫りを考えると、これから宗門に入って、また「月に何所帯!」という目標に追われるのかと思うと正直辛いのです。 私のとてつもない願い、つまり「真実とはなにか」ということは現実には得ることはできない我が儘でしょう。 しかしどうしてもいろんな書物やネットでそれを追ってしまいます。
人との対話も好みます。 一種、強迫観念にも似ています。 こんな私は所詮、二乗根性を脱することなどないのでしょうね。
今の今 悲しい気持ちでこれを書いています。
別によろしいのではありませんか?
真実とは何か?求めたら、それこそ茨の道だと思いますし、別に二乗根性でもないと思いますよ。
人生とは「学びの連続」と米女優シャーリー・マクレーンが言っていました。
私は毎日ですけど、気楽にやっています。
その為、「私はアセンションした惑星から来た 金星人オムネク・オネクのメッセージ」と言う書籍を読み終えるのに一年かかってしまいました。(笑)
いったん、アストラル界にまで行った魂が、物理的世界でしか得られない学びを求めて転生する方もいらっしゃる様です。
ともに、物理的世界であるこの世を楽しみませんか?
近況
いい年をしてなにやってんだか(笑)
まだ宗門には行っていません。せかされて度々 僧侶が来て下さるのですが、ツライ気持ちです。 私はもう組織はゴメンなのです。
今、手元にあるのは「カタカムナ」の本とそれから大兄が一年かかって読了されたあの本、他、古本を片っ端から取り寄せて読んでいます。
五井野博士は残念なことでしたね。 彼の本も読みました。
今日はとりとめのないメールでしたが、また書きますね。 ごきげんよう。
ありがとうございます。
>いい年をしてなにやってんだか(笑)
いいじゃないでしょうか?
出来たら教えてください。(笑)
>まだ宗門には行っていません。せかされて度々 僧侶が来て下さるのですが、ツライ気持ちです。 私はもう組織はゴメンなのです。
そうですねえ。
私もその様な立場に立たされたらつらいものがあります。
正直に自分の気持ちを伝えるしかないのではないでしょうか
>今、手元にあるのは「カタカムナ」の本とそれから大兄が一年かかって読了されたあの本、他、古本を片っ端から取り寄せて読んでいます。
五井野博士は残念なことでしたね。 彼の本も読みました。
カタカムナ?懐かしいですね。
私も読みましたが、本がどこにあるか?分からなくなりました。
五井野博士は亡くなりましたから、残念ですね。
>今日はとりとめのないメールでしたが、また書きますね。 ごきげんよう。
いつもありがとう御座います。
ともに学んでいきましょうね。
オーラが見える人より
ルーツは、古代エジプトや古代インドの神話の世界から来てるものです。
一つの書物で全体を推し量るより、世界中の書物から共通点を探したほうが、真実がみえますよ。
実際に見えるのでわかるのですが、全てのものにオーラがあり、多層で外側に放射して分かれています。仏像の後ろはこれを表しています。
これを物質界から上の次元に向かって表したのが、仏像の手にある五輪の塔です。あれは物質化の方法を教えています。
下界から順番に地水火風空の五つの世界で分かれており、それぞれに、魂側ロゴスと聖霊側の側面があるので、10個の世界を表している。地界と水界と人界を六道と言い、風界を極楽と浄土と呼んでいます。空は空間の媒質が違うので、除外します。
金星人は、金星の火界の人でしょう。地球の火界は妖精やジン、魔人と呼ばれて
コメント有難う御座います。
>金星人の話しも仏教も間違ってませんよ。
ルーツは、古代エジプトや古代インドの神話の世界から来てるものです。
そうですか。
秋山氏の話によれば、ルーツはそれよりかなり昔にのぼる様で、大変驚いています。
>一つの書物で全体を推し量るより、世界中の書物から共通点を探したほうが、真実がみえますよ。
ええ、その通りです。
>実際に見えるのでわかるのですが、全てのものにオーラがあり、多層で外側に放射して分かれています。仏像の後ろはこれを表しています。
これを物質界から上の次元に向かって表したのが、仏像の手にある五輪の塔です。あれは物質化の方法を教えています。
仏像の手にある五輪の塔の件ですが、物質化の方法を教えているとは初めて知りました。
ちょっと調べてみます。
古代エジプトの書物では、物質化の話も載っていました。
>下界から順番に地水火風空の五つの世界で分かれており、それぞれに、魂側ロゴスと聖霊側の側面があるので、10個の世界を表している。地界と水界と人界を六道と言い、風界を極楽と浄土と呼んでいます。空は空間の媒質が違うので、除外します。
金星人は、金星の火界の人でしょう。地球の火界は妖精やジン、魔人と呼ばれて
そうですか。
この辺は私にはよく分かりませんが、調べてみますね。
ありがとうございます。